環境半導体β-FeSi2の分子軌道法による電子状態解析

柳谷 俊一[函館工業高等専門学校/講師]

背景・目的

生態環境に優しく、将来的な資源供給量に優れる点から「環境半導体β-FeSi2」が大きな注目を集めている。β-FeSi2は熱電変換材料としての利用に加え、光学素子や太陽電池への応用が期待されている。しかし、その組成がFeやSiという高融点元素から成ることや、Fe-Si化合物がさまざまな結晶形態を持つために、高品質薄膜の作製が困難なことが知られている。しかし、Cu原子を添加することで、作製の効率化が図れるという非常に興味深い結果も報告されている。
本研究では第一原理分子軌道法を用いて、β-FeSi2の結合状態およびCu添加による焼結体作製の効率化を電子論的に解析することを目的とした。

内容・方法

材料開発においては、材料の持つマクロな性質を調べる実験的アプローチに加えて、原子レベルでの電子状態解析というミクロな観点からのアプローチも非常に有効である。β-FeSi2の電子状態計算はDV-Xαクラスター法による第一原理分子軌道法により行った。DV-Xα法は有限個の原子からなるクラスターを用いて電子状態の計算を行うため、バンドギャップを定量的に再現するのは困難であるが、材料の化学結合特性を解析する方法としてはきわめて有効であることが知られている。
(1)β-FeSi2の結合状態
バルク構造を基に13個のFeと8個のSiからなるクラスターを作製し、電子状態計算を行った。計算に用いた基底関数は、Feでは1s-4p軌道、Siでは1s-3d軌道とした。計算結果より、状態密度、およびマリケンのポピュレーション解析に基づいた共有結合性およびイオン結合性の評価を行った。
(2)Cu添加による焼結体作製の効率化に関する電子論的解析
Cu添加によるβ-FeSi2作製の効率化の原因を探ることを目的とした。β-FeSi2作製の出発材料であるα-FeSi2内のFe原子のひとつをCu原子で置換したクラスターを作製し、電子状態計算を行った。解析手法は前記の方法と同じである。

結果・成果

(1)β-FeSi2の結合状態
電子状態計算の結果より、状態密度図を作成した。状態密度図は、分子軌道に対して各分子軌道が占める割合をグラフ化したもので、縦軸にエネルギー準位、横軸に1原子あたりの状態密度を示す図である。
 Si 3pバンドは主に-6 eVとフェルミレベル(EF)の間に位置しており、Si 3dバンドはEFの周りとより高いエネルギ−範囲に位置していた。またFe 3dバンドはEF付近に局在する傾向が見られるが一方で、-7.5 eV付近に弱いピークも持っている。一方、Fe 4sp軌道は-12から10 eVの間に広く分布していた。DOS曲線においてエネルギーギャップは現れていないが、各軌道の相対的な位置関係は他の報告と良く一致していることが分かった。この結果より、わずか21個からなるクラスター計算においても、β-FeSi2の電子状態を定性的に再現できることが確認できた。
次に化学結合状態を調べるためにBond overlap population(BOP)の解析を行った。その結果、Fe原子と隣接し歪んだ籠型のネットワークを形成しているSi原子との間の結合状態は強い共有結合を示すことが明らかになった。また、このFe-Si結合はFeの3d、4sp軌道とSi 3d軌道間の相互作用によることが分かった。同様にSi-Si間結合においても強い共有結合性が見られた。さらにこの結合ではFe-Si間では見られなかった共有結合性の面方位依存性が確認された。その他の結合であるFe-Fe間の共有結合性は極めて小さいことが分かった。さらにβ-FeSi2の化学結合におけるイオン結合性について調べた結果、イオン結合性の寄与は小さいことが明らかになった。
(2)Cu添加による焼結体作製の効率化に関する電子論的解析
α-FeSi2クラスターの中心のFe原子をCuで置換した場合と置換していない場合の状態密度図を比較した。その結果、クラスター中心での状態密度が大きく変化していることが分かった。Fe 3d軌道に対応するCu 3d軌道の位置は、より低エネルギー側にシフトし、局在化が強くなっていた。
次に原子間の共有結合性の強さを示すBOPの評価を行った。その結果、中心をCuに置換した場合、置換サイトとそれに隣接した原子間のBOPが、置換していない場合に比べて低下していることが分かった。 BOP値の低下は共有結合性の低下に対応する。その結果、原子間の結合強度が低下することになる。結合強度の低下によりα-FeSi2構造の分解が促進されることは容易に推察される。したがって、Cu添加によるα相の分解促進は、部分的な電子状態変化に伴う結合強度の低下が一因であると考えられる。

今後の展開

β-FeSi2の実用化に向けての最重要課題は、作製手法の確立である。なかでもCu添加の手法は、効率化の観点からきわめて有望な方法である。今後はCu以外の原子に関しても電子状態解析を行い、添加元素の最適化を図ることが必要である。さらに計算精度を高めるためにクラスター構造やクラスターを構成する原子数の最適化なども必要となる。
電子状態計算による予測を基に実際の膜作製を行い、金属原子添加手法の最適化を図り、β-FeSi2作製技術を確立させることが最終的な目標となる。