北洋産珪藻 Thalassiosira sp.の培養と産生有用物質の利用

橘高 二郎(根室市水産研究所/所長)  
木原  浩(日本油脂叶H品研究所/所長)

背景・目的
 海産珪藻Thalassiosira nordenskioeldii(以下、Thalassiosiraと称する)は冷水域の植物性プランクトンの代表種であり、北洋の生物生産の基礎を担っている。また、本種はタラバガニ類幼生の初期餌料として使用されている。その優れた餌料価値は本種が多量の脂肪酸、特に高度不飽和脂肪酸を含有するためと考えられる。そこで、本種の培養方法を検討して大量培養を行い、本種の産生する脂質及び有用物質の利用可能性を模索する。特に、甲殻類、二枚貝類、魚類を対象に飼育実験を行い、保存性のある初期餌料を試作する。
内容・方法
 1998年11月ポンプで揚水した天然海水約1,000Lを23μmのプランクトンネットで濾過し、100L Artemia孵化槽で通気培養した。培養槽は室内の窓側に置き、水温は約10℃に維持した。培養液はPES培地,SH培地、及びF培地(F/2を使用)とし、増殖能の最も優れた培地を使用した。増殖がピークに達した培養槽には、明礬を約30ppmになるように投入し、培養珪藻を凝集沈殿させた。凝集した珪藻は23μmのプランクトンネットで良く水を切り集めて凍結乾燥後、脂質抽出及び脂肪酸分析を行った。収穫した珪藻は凍結乾燥後、粉砕してそのまま、または他の原料と配合あるいはArtemiに摂取させた後、海産動物の飼育実験に使用した。実験生物の種類・生育段階および実験時期は次ぎの通りである。1)タラバガニ・ハナサキガニのゾエア幼生(1-4月)、2)クルマエビのゾエア・ミシス幼生及びポストラーバ(7-9月)、3)イセエビのフィロゾーマ(7-8月)、4)オオノガイのアンボ幼生及び稚ガイ(8-11月)、5)ハタハタの仔稚魚(2-4月)。
結果・成果
 (1)珪藻培養:PES、F及びSH培地を用いてT.nordenskioeldiiの増殖を比較した。PES培地は他の培地に較べて、初期の増殖が早く、5日後40x10>sup>3cells/mlに増加し、10日後50x103cells/mlのピークに達した。これは、PES培地がNをMohr氏塩として珪藻の利用しやすいアンモニュウム態で含み、またN,Pの濃度が高く、さらにN:P比が5:1と植物による吸収割合に近い特徴を有するためと考えられる。天然海水より分離したThalassiosiraを1000L槽2槽を用いて、10℃,約5000lxで10-14日間培養した。初期の培養14槽から、1槽平均80.4±28.3g(凍結乾燥重)を生産した。しかし、8月以降、培養水温が11-12℃に上昇し、生産量は42.2±8.2gに低下した。なお、培養期間を4月30日―6月29日、及び6月21日―9月6日の前半及び後半に区分して珪藻の生産状況を比較すると、1槽当り収量(凍結乾燥重)は、前半期95.7±28.7g、後半期51.0±10.7gで、5,6月の培養量は7,8月の約2倍であった。(2)珪藻の脂質分析:Thalassiosiraの脂質は前者で5.3%,後者で4.9%含まれていた。高度不飽和脂肪酸としてはEPAが比較的多量に含まれ、脂肪酸中、前半期では21.1%、後半期では17.1%を占めていたが、DHAは殆ど含まれていなかった。EPAはイワシ油に多量に含まれているため、DHAに較べると経済価値が低い。従って、現段階ではThalassiosiraの油脂源としての利用価値は低いと判断された。(3)魚介類幼生の餌料:Thalassiosiraは珪酸質の殻内に光合成産物を封入した1種の生物カプセルと見なすことができる。単位細胞の径は約15μmで甲殻類幼生の餌料として適当な大きさであるが、二枚貝類の幼生にはやや大きすぎると考えられる。飼育実験には主として凍結乾燥珪藻を用いたが、冷凍珪藻を用いた場合もある。(i)ハナサキガニのゾエアは、その生残率は不安定で飼育の比較的困難な種類である。マグロ油(DHA23.3%)を7%(重)吸着させた凍結乾燥Thalassiosiraを、開口後のArtemiaノ−プリアスに摂取させ、ゾエアに投餌した。ゾエアの生残率は無処理のArtemia投餌区より著しく高く、さらに藍藻Spirulina及びビール酵母を素材にした同様の目的の市販品よりも優れていた。凍結乾燥Thalassiosiraは、(ii)クルマエビの幼生および(iii)着底期以後のオオノガイには代替餌料として使用できるが、(iv)ハタハタ稚魚に対しては嗜好性を阻害し生残率及び成長の低下を招いた。
今後の展望
 T.nordenskioeldiiのタラバガニ類幼生に対する優れた餌料効果は、本研究によっても再確認された。北海道におけるタラバガニ類の生産は、唯一、根室半島周辺のハナサキガニである。その資源減少傾向は明らかであり、資源増大対策が進められている。しかし、ハナサキガニに使用できる人工配合餌料は作られておらず、稚ガニ、親ガニの育成の問題点である。Thalassiosiraを配合原料の成分にする試みが本研究を契機に開始された。なお、本種の生活史はじめ増殖生態はまだ解明されていないが、この分野の知見が本種の利用に活路を開く可能性がある。