ビスフェノールA添加飼料における蚕の精巣に及ぼす影響

西出 雅成(北海道札幌東陵高等学校/教諭)

背景・目的
 環境ホルモンとしてのビスフェノールA(BPA)は、エストロゲン(女性ホルモン)作用をもつ物質として広く知られ、胎児期の高濃度の暴露では、メス化を誘発し生殖への異常が報告されている。近年の話題として、これらからつくられるポリカーボネートPCが、つい数年前まで学校給食用の食器としても使われ、BPAが熱水などに比較的容易に溶けることから早急な対応が迫られていた。また、BPAは缶の内側のコーティング剤(エポキシ樹脂)としても使われ、暴露されることによる生殖への影響が懸念されている。
 このような背景から本研究は、比較的短期間(一世代40日程度)に生殖への影響が見られる家蚕の人工飼料育への応用を試みた。とりわけ、精巣への影響をとらえ、精子数の変化および形態異常、さらに受精率および世代間の影響をとらえることを目的とした。
内容・方法
【概要】
 人工飼料育に適した品種を用い、ビスフェノールA(BPA)を目的の濃度(1,10,100ppm)に調製した水溶液を粉末人工飼料に混入し、稚齢から給餌により環境ホルモン(BPA)を暴露させる。その結果は、おもに成長の過程を観察しながら蛹化7日目の精巣を取り出し、倒立顕微鏡にて異常の有無を観察する。
【飼料の調製】
 飼料成分の主なものは、以下の通りである。(粉末飼料100g中の質量比)
 桑葉粉末25%、脱脂大豆粉末45%、コーン粉末15%、(クエン酸・アスコルビン酸・ビタミン類・寒天などの混合)15%…以上を粉末飼料とする。
 次にビスフェノールA(BPA)(1〜100ppm)を熱水に溶解させ、粉末飼料に以下の割合で混合する。粉末飼料100g/260ml(BPA水溶液)
 その後、オートクレーブにて115℃20分処理し、放冷後、添加飼料とする。
【飼育方法】
 実験品種 日603・4×中604・5(四元交雑種)「はばたき」
 なお、固定種の実験飼育を試みたが、残念ながら人工飼料には現段階では適さず、成長の遅れ、稚蚕の死亡率が高く、保存品種をつかった精巣への影響は今後の検討課題となった。現段階では上記の人工飼料に適したハイブリット種を使用した。
 1区画あたり飼育頭数1〜3齢(1蛾:約500頭)4〜5齢(100頭)
 飼育温度25〜26℃ 湿度50〜75%
 給餌量 1〜3齢(420g)100頭に調整後4齢(240g)5齢(1360g) 総合計2020g/区画
結果・成果
1)成長過程
 ビスフェノールA(BPA)添加区では、どの濃度(1〜100ppm)も成長の遅滞、促進、および飼料添加による急性毒性はみられない。
2)精子形成の影響
 蛹化7日目の精巣から取り出した精子(束)では添加濃度が増すにつれ、受精能力のある有核精子は減少する。
3)精子(束)の長さ比較
1ppm、10ppm、100ppmと添加濃度が増すにつれて、精子の短いもの(無核精子)が多くなる。
4)精子形成の異常
 100ppm添加では、正常な精子形成では見られない短い精子(無核精子)の密集したクラスター状態が確認される。
5)受精率への影響
 受精率への影響は、いくらかでも有核精子が存在するために1,10,100ppmいずれの濃度でも低下は見られず、400〜500粒ほどの卵は、ほぼ100%受精している。また、卵への影響として、BPAに暴露されたメス(100ppm)と正常なオス(Control)との交尾でもほぼ100%受精し、受精率の低下は見られない。
今後の展望
 受精率への影響は、今後数世代にわたり調査し、統計的な処理をする必要がある。しかし、そのためには、今回用いたハイブリット種ではなく、人工飼料育に比較的適した固定品種での実験を試みる必要があり、本研究の課題はこの点にある。また、我々の生殖法とは基本的に異なる昆虫(鱗翅目)では、ビスフェノールA(BPA)の暴露に対する受精率の影響を鋭敏にとらえることは、難しいと指摘できる。だだし、精子形成に異常をきたすことは、今回明らかにされ、種の違いはあれども、遺伝子レベルでの影響をとらえる実験系として発展させることは可能である。また、次の点で将来展望が期待できる。例えば、人工飼料を用いれば、通年、北海道のような自然環境でも飼育可能で、今後早急な回答が迫られる化学物質の環境ホルモン作用の特定、あるいは選択的に除去可能な物質が試験管系で開発され、その効果を判定するための生体内実験として利用価値はある。