|
生体反応を司る酵素はタンパク質からなる高分子と言えるが、その構成単位であるアミノ酸はほとんどがL体であるため、酵素は巨大なキラル反応場を構築し、精緻な分子認識を行なっていることになる。この事実はすなわち、生体が摂取する物質の立体化学が、その代謝作用あるいは活性発現などに大きく影響することを意味している。しかし従来、そのような生理活性物質とレセプターとの相互作用機構の分子レベルでの理解は困難を極めてきた。本研究では、生体システムを化学的に抽出し、分子間水素結合をルイス酸−塩基相互作用に代表される配位結合に置き換え、多点配位が可能なルイス酸レセプターの精密な分子設計を行なうことで、三次元構造の定まった不斉認識場の構築を試みるとともに、精密有機合成への応用を計る。
|
|
(1)これまで取り組んできた二点配位型ルイス酸レセプターについての知見を基に、レセプター中の金属間距離を制御でき、なおかつキラリティーの導入が容易な配位子をデザイン、合成する。金属としてまず、アルミニウム、ホウ素等の典型金属を選び、多点配位型システム構築の出発点として、光学活性二点配位型ルイス酸レセプターを創製する。
(2) (1)で得られた光学活性二点配位型ルイス酸レセプターを用いて、各種のカルボニル化合物及びエーテル化合物との選択的複合体形成について詳細に検討し、基礎データを集める。この過程で、温度可変FT-NMR、IR測定を駆使することで、その動的メカニズムまで踏み込んだ評価を行い、望ましい不斉認識に必須の要素を見極めたい。
(3) これらのデータを基に、金属とキラル配位子の適合性、それに伴う基質捕捉能力についての検討を重ね、目的とする不斉認識を高選択的に実現するために理想的なキラル反応場の構築を行っていく。具体的な評価方法として、代表的なエナンチオ選択的炭素−炭素結合形成反応(アルドール、環化、クライゼン転位等)にルイス酸レセプターを適用し、生成物の光学収率を高速液体クロマトグラフィーによって決定する。ここで、従来の光学活性ルイス酸とのキラル認識能の差異を比較検討し、本研究の優位点を明確にしたい。
(4) これまで得られた結果を基に、多点配位型システムへの展開を計る。適切な配位子のデザインと共に、金属として生体反応においても重要な役割を担っている、亜鉛、マグネシウム等を用いて多点配位型ルイス酸レセプターを創製し、生体機能解明をも視野に入れた新規キラル認識プロセスを開発する。
|
|
回転軸としてのアセチレン骨格で結ばれたビスフェノール誘導体を合成し、これらと2当量のトリアルキルアルミニウムから二点配位型ルイス酸を調製した。初めに、これらが分子内に回転軸を持ちながらもカルボニルあるいはエーテル化合物をどの程度有効に活性化できるかを代表的な親電子反応を行い、その反応速度を比較することで評価した。その結果、いずれの場合にも満足できるカルボニル基及びエーテルの活性化能が獲得できることが明らかになった。この事実を基に、フェノール部分をビナフトールから導くことのできる光学活性フェノールで置き換えることにより、光学活性二点配位型有機アルミニウム反応剤の創製に着手した。具体的には、ビナフトールの一方の水酸基をかさ高いシリル基で保護し、これをアセチレン骨格で結んだ光学活性ビスフェノールを合成し、2当量のジアルキルアルミニウムクロリドから光学活性二点配位型ルイス酸レセプターの調製を行った。これを用いて、これまで成功例の限られているクライゼン転位反応を選び、反応性及び選択性を評価した。その結果、トリフェニルホスフィン存在下で反応を行うことで、転位反応は穏和な条件下で円滑に進行し、良好な不斉誘起が見られることがわかった。さらに配位子のシリル置換基としてt-ブチルジフェニルシリル基を有するルイス酸を用い、末端にt-ブチルのような嵩高い置換基を持つアリルビニルエーテルを基質として反応を行った場合に望ましい不斉認識が行われ、最も高いエナンチオ選択性が得られることがわかった。続いてここで見られるルイス酸−塩基相互作用に基づいた光学活性二点配位型ルイス酸レセプターによるエーテル酸素の二重活性化について分光学的な側面から検討した。具体的にはテトラヒドロフランをモデル化合物として選び、重クロロホルム中、光学活性二点配位型ルイス酸レセプターとの複合体の1H NMR測定を行った。その結果、テトラヒドロフランのα位のプロトンの化学シフトを評価することで、二点配位型の複合体形成を支持する知見が得られ、これが選択性発現の鍵であると考えられる。
|
|
本研究では二点配位型ルイス酸の概念に基づいた新規光学活性二点配位型ルイス酸レセプターを創製し、そのキラル認識能を活かしたアリルビニルエーテル類の不斉クライゼン転位反応の開発に成功した。しかしながら、いずれの反応も当量のレセプターを必要とするため、生体システムの化学的抽出という段階には至っておらず、真に効率的な触媒系の構築へと高めるための配位子のデザインと適切な中心金属の探索を行っていく必要がある。それとともに多点配位型システムのデザインへと繋げ、より高度なキラル識別が可能となる道を拓くことが今後の課題と言える。
|