位相検出原子間力顕微鏡の応用

オリバー・B・ライト(北海道大学大学院工学研究科/教授)
水野正道(新日本製鐵(株)室蘭製鐵所製品技術部/制御技術グループリーダー)


背景・目的

 位相検出超音波力顕微鏡(PUFM)では、一つは試料に、もう一つは原子間力顕微鏡(AFM)のカンチレバーに互いに近い周波数の超音波励起を行う。AFMの探針と試料間の極めて大きい非線形応答により、この構成は高周波の振動をその差の低周波でのカンチレバーの振動に変換する。この差周波数における振幅および位相は探針下の試料の局所的な弾性的、粘弾性的および表面付着力の性質に依存し、それらの性質をナノメートルの横分解能でマッピングすることができる。我々はこの技術を新日本製鉄室蘭工場に提供された圧延鋼材に適用した。

内容・方法

 我々は、位相検出超音波力顕微鏡と密接に関連した「導波型超音波力顕微鏡」として知られている技術の開発も行なった。これはPUFM(Phase sensitive ultrasonic force microscopy)と同じように動作するが、試料側の振動励起は必要としない。数MHzの周波数域にある超音波を、カンチレバーに共振を起こすことなく試料まで導波路として伝える(WUFM-Waveguide Ultrasonic Force Microscopy)。カンチレバー側で振動励起することの利点は試料を選択する可能性が増すことである。我々は超音波トランスデューサを鋼試料の背面に再現性よく取り付け、PUFMに必要な表面における十分大きな振動振幅を得ることが困難であることを発見した。しかし、WUFMではこれは必要ではなくなる。そこで我々は新しいWUFM技術を用いて一連の測定を行なった。鋼試料の測定については、試料の前処理が簡単になるという点からPUFMよりWUFMの方が優れた技術である。

結果・成果

 PUFMとWUFMによって熱圧延鋼材を測定し、横空間分解能、コントラストの要因、2種の顕微鏡の違いを明らかにしようとした。測定から、トポグラフィーに現れていない情報をWUFMとPUFMが検出していることがわかった。これは、異なった相(あるいは粒界)や組成の違いによる試料の弾性的性質の違いによるものと考えられる。
 PUFM振幅像とは対照的に、PUFM位相像には特別な構造が見られなかった。これは、当初は驚くべきことであった。というのは一般的には位相信号も物質の弾性的性質に敏感であるからである。しかし、実際には位相信号は粘弾性性質にすなわち試料による損失に敏感である。PUFM位相像に構造が見られなかったということは、試料は顕著な粘弾性を示さないということを示している。これは3MHzという超音波励起周波数では妥当な仮定である。
 我々は本質的にPUFMとWUFMが鋼試料については、試料の弾性的性質に関する情報を与えてくれることを知った。しかし、特定の厚みの試料については、PUFMを行なうことに成功しなかった。そのため、我々は本プロジェクトの残りの部分についてWUFMを用いることを決定した。この技術はすべての試料についてうまく働く、より汎用性が高いものである。実験からWUFMの横空間分解能が10nm以下であることがわかった。
 WUFMにおけるコントラストの原因を詳細に推定することは難しい。ヘルツの接触理論によれば、試料の局所定なスティフネスは試料の弾性定数以外に表面の曲率と試料のトポグラフィーにも依存する。従って、トポグラフィーにおける影響をできるだけ取り除くために可能な限り試料を平坦にすることが必須である。表面の付着力の違いもまたWUFMのコントラストに影響を与えるという指摘は正しい。半導体について、この可能性が発見されている。しかし、鋼の場合は、試料が比較的均質であるために、これが主要なコントラストの要因になるとは考えにくい。今後の研究では付着力の変化が鋼試料の場合どの程度のコントラストの違いになるのかを明らかにする必要がある。
 もう一つのポイントとして測定を再現性よく行なうことが必要である。AFMステージのドリフト、探針の損傷、湿度の変化、これらはすべて時間とともに変化して画像に影響を与える。一般的には、我々はつねに1つの点では2つの画像をとり、探針による試料の損傷がないことを確認している。超音波を励起すると、摩擦が減り、それによる損傷の危険性が減少することも、この方式の利点である。

今後の展望

 我々はPUFMとWUFMを鋼製品に応用し、これらの顕微鏡が弾性的性質および微結晶状態についての局所的な情報を与えることを示した。これらの顕微鏡と、他の局所的な性質をとらえる技術(電子顕微鏡など)と組み合わせることにより、金属および半導体工業における有用な応用につながることが期待できる。また、探針試料間の適切なモデリングを行なうことによりこの技術をより定量的にできるだろう。これには付着力やトポグラフィーに加えて試料表面の水分や不純物層の存在をも考慮にいれた接触理論を用いる必要がある。