反芻動物の脳活動におけるエネルギー代謝に関する研究

葉原芳昭(北海道大学大学院獣医学研究科/教授)
北村直樹(北海道大学大学院獣医学研究科/助手)
矢用健一(北海道農業試験場畜産部畜産管理研究室/研究員)
竹下潔(北海道農業試験場/畜産部長)


背景・目的

 反芻動物の血糖値は、非反芻動物に比して低く個体によっては40m/dlという値も見られる。非反芻動物の中枢神経の活動に利用される代謝基質は正常時はほとんどがぶどう糖である。血糖値の低い反芻動物では、単位時間当たりに中枢神経系に供給されるぶどう糖量も非反芻動物に比べて少量であると予想されるので、これらの動物種では中枢神経系でのぶどう糖の不足をいかに補償しているのかという疑問が生じる。本研究ではその疑問に基づき、反芻動物の脳代謝の特異性を解明することを目的に検討を行った。

内容・方法

 実験動物として羊及びシバ山羊を用いた。中枢神経系への代謝基質の供給状態を推測するため、細胞外環境である脳脊髄液を経時的に採取可能な実験系を確立した。すなわち、脳定位固定装置を用いて側脳室または第3脳室内に慢性カテーテルを埋め込んだ。これは、血中の変化がこの両脳質に比較的すばやく繁栄されるというあらかじめ得られた検討結果に基づき決定した。また、脳一血液関門を介する代謝基質の供給を推定する目的で、動静脈差を測定するための頸動脈ループ手術を施し、動脈と静脈採血を経時的に行った。手術の浸襲から回復させた後、各個体にたいして午前9時から11時まで給餌する制限給餌を行い、その個体から24時間経時的に試料を採取し、各代謝パラメーター、イオン、インスリンの変動を測定した。さらに、代謝基質の供給を停止した場合、生体の代謝パラメーターがどのように変動するかを検討するため、絶食を数日間行い、同様に各パラメーターの変動を記録した。

結果・成果

1)まず初めに、脳脊髄液採取の最適部位を決定するため、キシラジンによる高血糖副作用を利用して高血糖が、いかに速やかに各脳脊髄液採取部位に反映されるかを検討した。その結果、血中高血糖が、大脳槽や腰仙椎間に比べ側脳室及び第3脳室に速やかに現れることから、側脳室あるいは第3脳室を採取部位として用いるのが適当であると判断された。
2)反芻動物の血糖は、もっぱら胃内微生物の発酵作用で産生・吸収された揮発生脂肪酸、特にプロピオン酸、を基質とする肝臓での糖新生によって維持されているので、血糖変動はほとんどないであろうと予想されたが、制限給餌を行なった結果、実際は、非反芻動物よりも長時間続いていることが判明した。その間、ぶどう糖の脳脊髄液/血液比は常に一定(0.74±0.01)に保たれていることも明らかとなり、これは脳へのぶどう糖供給が血糖値に依存していることを示唆していると考えられた。
3)羊の脳脊髄液乳酸濃度は血中の約5倍と非常に高濃度であることが明らかとなった。これは非反芻動物では脳脊髄膜炎その他の疾患時に認められる値であり、驚くべき結果である。全身症状から判定して、実験動物が最近感染などの脳疾患に感染している可能性はほとんどないと判断されたことから、反芻動物の中枢神経系では乳酸がなんらかのかたちで代謝系に関わっている可能性が考えられた。
4)絶食により、制限給餌下で認められた乳酸やぶどう糖の日内変動が消失した。一方、遊離脂肪酸が有意に増加した。しかし、脳脊髄液中の遊離脂肪酸濃度は血中濃度の1/20から1/400であり、さらに絶食で脳脊髄液中遊離脂肪酸濃度がむしろ減少することから、遊離脂肪酸が特異的基質として反芻動物の中枢神経系で積極的に利用されているとは考えにくいと思われた。
5)動脈からの乳酸の取込を示唆するような結果が得られなかったことから、脳脊髄液中乳酸の由来については様々な可能性が考えられるが、現時点では特定することはできない。
6)以上の結果、反芻動物の中枢神経系では、非反芻動物に比べ、供給不足状態にあるぶどう糖を補うため、ぶどう糖以外の代謝基質が積極的に利用されている可能性が浮かび上がった。

今後の展望

 まるごとの動物を用いた今回の実験により、反芻動物の中枢神経系での代謝の特異性の一端が浮かび上がってきた。それらの点をより詳細に検討するため、今後は実験系を目的にそって単純化する必要がある。例えば、脳の灌流標本や、組織のスライス標本、単離神経標本、培養標本を用いることを念頭に置いて、実験計画を立案する。一方で、今回用いた実験系を再度用いる場合もあることを想定し、この研究テーマを維持できるよう体制を整えたい。また今回測定できなかった揮発性脂肪酸とケトン体を測定する必要がある。