近年北海道においても開発は進み、野生生物の生息環境が急速に破壊されている。これにともない北海道に固有であるエゾサンショウウオ(Hynobius
retardatus)の個体数も減少の一途をたどっている。本研究では将来的にエゾサンショウウオの保全策を講ずる上で重要となる本種の歴史的背景を明らかにするために、地域個体群間の遺伝的差異を把握し、本種の特異性・系統関係等を推定する。
北海道では2種のサンショウウオ類が知られている。キタサンショウウオ(Salamandrella
keyserlingii)は天然記念物とされているが、北海道固有種であるエゾサンショウウオは何の保護対策もなされていない。本種は形態的に本州以南の諸種に比べて分化していることから別属とされることもあった。また染色体数は特異的に少なく、東アジアにのみ分布するサンショウウオ属の中で最も原始的な種と考えられたこともあり、この属の起源や進化を知る上で鍵となる種であると思われる。このように系統分類学的に重要な種であるが、本種における歴史的背景はほとんど明らかにされていない。
本研究では、エゾサンショウウオを対象とし、DNAの抽出、DNA合成酵素連鎖反応法(Polymerase
Chain
Reaction)、いわゆるPCR法による遺伝子領域の増幅、PCR直接塩基配列決定法によるCytochrome
b遺伝子、16SrRNA遺伝子の決定をおこない、得られた塩基配列に基づき系統解析をする。
当初計画していたCytochrome
b遺伝子領域の塩基配列決定に成功したサンプルは、ヒダサンショウウオ(Hynobius
kimurae)とハコネサンショウウオ(Onychodactylus
japonicus)だけだった。新たにデザインした合計30対のプライマーを用い様々な条件下で増幅を試みたが、最終的に上記以外のサンプルでの増幅は困難であることが判明した。その後Cytochrome
b遺伝子に比べ進化速度の遅い16SrRNA遺伝子をターゲットに選んだところ、ほぼすべてのサンプルで増幅が可能となった。
現在までのところ塩基配列が決定できたサンプルは以下のとおりである。札幌市(4)、新冠町(2)、江別市(2)、福島町(1)、名寄市(1)、留萌市(1)、新得町(2)、足寄町(3)の合計16個体のエゾサンショウウオ(カッコ内の数字は個体数を示す)。本州産小形サンショウウオ類としてトウホクサンショウウオ(Hynobius
lichenatus)、ヒダサンショウウオ、外群として用いたオオサンショウウオ(Andrias
japonicus)である。サンショウウオ属(Genus
Hynobius)の中では塩基の挿入・欠失はみられなかったが、外群との間に11塩基対のギャップがみられたため、それらを含む部位を除く合計461塩基対を分析に用いた。
エゾサンショウウオの内部では0.7%以下の遺伝的差異(全てトランジション型変異)がみられた。また、札幌市、福島町、名寄市、足寄町の各個体群間ではまったく差異がみられなかった。最尤法(ML)や最大節約法(MP)などの解析では、新冠町と新得町の個体群がもっとも近く(ブーツストラップ値:ML84.3%、MP59%)、それらに札幌市=福島町=名寄市=足寄町の個体群が結合し(ML84.5%、MP84%)、次に留萌市個体群が結合(ML71.4%、MP62%)、最後に江別市個体群が結合した。
エゾサンショウウオと他種との系統関係については、現段階で塩基配列の決定できている種数が少ないため明確なことはいえないが、限られた種を用いて系統解析した。最尤法および最大節約法でも、エゾサンショウウオは高い信頼度で一群をなした(ML97.8%、MP99%)。これらとヒダサンショウウオが結合する確率はML50.0%、トホクサンショウウオが結合する確率はML48.2%であり、最尤法に基づく限りではどちらがエゾサンショウウオに近いか明確には言えない(最大節約法ではエゾサンショウウオとヒダサンショウウオのクレードを支持した:72%)。ただし、エゾサンショウウオと前者との遺伝的差異は3.3%、後者とは4.3%であり、前者と後者の間では4.3%であった。これらの結果からこの3種は同程度離れていると考えられる。
今後、さらに進化速度の速い領域を比較することにより、エゾサンショウオにおけるより詳細な地域変異が浮き彫りにできる。また、種数を増やすことで、エゾサンショウウオと他種との系統関係が明確になると考えられる。
今後は日本産小形サンショウウオ類全種を対象に、同様の手法を用いて各種地域個体群の遺伝的特性および種間の系統関係を明確にし、この動物群の日本における分布成立の歴史を推定することを計画している。得られた遺伝情報は、各種における保全単位の明確化・保全の必要性・優先度を評価するための基礎資料として活用され、小規模個体群、隔離個体群等の遺伝的多様性の分析は、対象個体群の隔離性、絶滅の危険性等を評価する上でも貴重なデータとなるだろう。
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