表面スピン秩序構造と相転移

蒋紅(北海道大学触媒化学研究センター/助手)


背景・目的

 バルクの結晶構造などの解析には、回折手法による構造決定とともに、構造の相転移、スピン系の秩序−無秩序転移など、熱測定(転移に際しての熱の出入り)からどのような相転移が起こったかを判断する。これに対して、表面構造研究では、熱測定の技術が殆ど確立されていないため、回折法だけで構造決定しそれを基に議論するのが現状である。表面系では、熱過程に参加する表面原子数が少ないこと、試料基板側への熱流出が大きいことなどによって、信頼できる表面熱計測を実現するには技術的に困難な課題が多数ある。
 本研究は、表面スピン秩序構造と相転移の測定に着目する研究計画で、固体表面固有の性質|表面スピン系の相転移の機構やダナミクスを解明することを目標とする。

内容・方法

 本研究の構想は、表面スピン計測法の確立、理想的な表面スピン秩序構造の形成と評価、その系の熱による相転移機構の研究、吸着種による相転移の機構の解明、の4段階に分けられる。
1表面スピン計測法の確立:表面スピン計測にはMott散乱型電子スピン分析器とRHEED複合装置を用いる。表面波共鳴条件*下で電子ビームを試料表面に入射させ、表面第一原子層から放出される2次電子のスピン偏極度を測定する。併せてRHEEDパターンから表面の結晶情報を得る。※RHEED表面波共鳴現象が起こる場合、回折電子が結晶試料表面第一原子層だけに局在する。このため、表面波共鳴条件下で磁性体試料から発生する2次電子スピン分析を行うと、第一原子層のみの磁化情報が得られる。
2理想的な表面スピン秩序構造の形成と評価:RHEEDの表面波共鳴条件を満たす条件下においてスピン計測を行い、表面スピン秩序構造を明らかにする。
3表面スピン秩序構造の熱による相転移:表面スピン計測法を確立した上で、磁性金属などの表面スピン秩序構造の熱による相転移を実験的に測定し、表面スピン秩序構造と相転移の測定法の適正性を検証する。
4表面スピン秩序構造の吸着種による相転移:本研究は主にシリコン−鉄系、酸素−純ニッケル系に着目し、吸着種による表面スピン秩序構造の相転移の測定を試みる。

結果・成果

 磁性体表面の磁化分布、磁区分布は、その表面の幾何学的形状、歪みなどに大きく依存することが知られている。RHEED表面波共鳴現象を利用した表面スピン計測法の確立には、スピン計測の最適な磁性体単結晶を必要としている。そこで、本研究は理想結晶に近い結晶構造を持ち、欠陥や不純物などがほとんどないウィスカー単結晶のファセット面に注目し、ウィスカー単結晶の作製からスタートした。作製したウィスカー単結晶を表面スピン測定の標準試料として用い、表面スピン計測法を確立させ、さらに、理想的な表面スピン秩序構造の形成、熱による相転移、吸着種による相転移などの機構を解明する。以下これまでにウィスカー単結晶の作製法について検討した結果、ウィスカー単結晶の表面構造および磁気的構造について観察した結果を報告する。
1.ウィスカー単結晶の作製法
 本研究は主に塩化物の還元反応による磁性体金属である鉄とニッケルのウィスカー単結晶の成長条件について、還元反応の反応温度、水素ガスの流量、添加物、塩化物を載せる加熱ボートの種類などに着目して検討を行った。その結果、
1還元反応の温度および水素ガスの流量は、鉄ウィスカーの成長に大きく影響する。
2鉄ウィスカーの成長具合は加熱ボートの材質および加熱使用回数と関係する。
3添加物のcarbon black、Fe2 O3は、鉄ウィスカーの長さと太さには影響を与えない。
2.ウィスカー単結晶の表面構造
 得られた鉄ウィスカー単結晶について、SEMによる断面形状観察およびRHEEDによる回折像の観察を行った。得られた鉄ウィスカー単結晶の断面形状はそれぞれ、六角形、板状(長方形)及び正方形になっており、それぞれの成長表面の大きさ及び平坦さも異なることが分かった。特に、平坦性のよい、断面形状は板状(長方形)になっている鉄ウィスカー単結晶の成長表面についてRHEED観察を行った。その結果、シャープなRHEED回折像上に表面波が観察され、表面波共鳴現象が起こることも確認できた。ただし、鉄ウィスカー単結晶のRHEED観察における表面波共鳴が成立する実験的な条件については、今の段階でまた明らかではなく、さらに詳しく検討する必要がある*。
シリコン(100)表面などのRHEED観察における表面波共鳴が成立する実験的な条件(1)が明らかになっているにもかかわらず、磁性体金属のRHEEDの表面波共鳴条件は実験的にまだ調べられていないのが現状である。
3.ウィスカー単結晶の磁気的構造
 ビッター法による磁区構造観察(光学顕微鏡による)とスピンSEMによるスピン構造測定を行った。磁性体のRHEED観察における表面波共鳴の成立条件は明らかになっていないので、今の段階ではRHEED表面波共鳴条件下での表面スピン計測はできないが、RHEED観察と同時にスピンSEMによるスピン構造測定が出来るようになった。ビッター法で観察した鉄ウィスカー単結晶の成長表面の磁区構造と一致のしたスピンSEM像の測定に成功した。
4.成果
 本研究の最初段階として、これまでにスピン計測の適切な磁性体金属単結晶の作製および作製した試料の評価について進めてきた。研究結果の一部を既に第22回日本応用磁気学会学術講演会で発表した(第22回日本応用磁気学会学術講演概要集p256、1998年9月、札幌)。さらに今までの結果を1編の論文としてまとめ日本応用磁気学会誌に投稿する予定である。

今後の展望

 シリコン結晶の(111)表面、(100)表面のように、半導体表面では典型的超格子構造が多く観察されている。これに対して磁性体表面のスピン格子は、反強磁性体NiO結晶のバルク特性を反映したスピン格子系が実験的に観察されるに止まっている。本研究では、『第一原子層のみの磁化情報』に着目して、表面スピン系の相転移の測定法を確立し、表面スピン秩序構造の相転移の機構の解明を目指している。熱、吸着物質による表面スピン系の相転移の機構やダイナミクスを解明することにより、バルクと異なる、表面特有なスピン秩序構造の制御、新たな表面スピン秩序構造を示す物質の構築が期待できる。